ロシア イルクーツクにある2つの日本名
ロシア イルクーツクにある2つの日本名があります。
一つは「金沢通り/Уапица Канадзавы」
ロシア語と日本語表記が看板で併記されていますが、
「通」は、なんだか可笑しな書体でロシアらしいです。
1967年3月にイルクーツクと石川県金沢市が姉妹都市になって
その証として、町の通りの一つを「金沢通り」と命名しゆえに、
通りの脇に兼六園のことじ灯篭のレプリカが飾ってあります。
通りの最後に、三重県鈴鹿市による 「日露交流の記念碑」もあり
1789年に漂流しイルクーツクに日本人で初めて訪れた 江戸の商人・大黒屋光太夫の出身で
交流が生まれた記念碑。そして、もう一つは「シゲキ小公園/シゲキ モリ ストリート」などと呼ばれ森喜朗元総理の父である森茂喜氏の名前にちなんだもで、2011年の9月にお披露目があり、車の通れない小公園のような道。茂喜氏は石川県 能美市の市長で、イルクーツク地域と日本の都市間の姉妹都市関係の確立を開始し日ソ協の会長を務めていた森茂喜さんがイルクーツクの名誉市民として称えられ、遺骨は遺言に従いイルクーツク市郊外のシェレホフに分骨されていてます。それは私が内装をデザインしたホテルの前通りで、そのモニメントのデザイン案は、なんと私が2011年にしたものです。石碑のデザインを頼まれ、私は石庭にガラスで出来た塊の岩を置き下からライトアップの指示したのですが政府関係者が、そんな予算はないと墓があるシェレホフの土地の石を運んできたそうです。私の名前も貢献したと刻まれると聞いていましたが、まんまと騙されタダ働きさせられたようでした。
Shigeo Nakamura Design Office
http://www.nakamura-design.net
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